地域遺産とは?

民俗学者の宮本常一の寄稿文を読んだ。そこには長らく私が悶々として口に表すことのできなかったことがあまりにも簡潔に、しかも淀みなく書かれていた。 その文章が今からおよそ50年以上も前に書かれていたことにも素直に驚いた。

「観光客がいったいどれほど観光地に住む人の邪魔をしないで寄与しているであろうか。
その生活を破壊する側にまわってはいても、その生活を助ける側にまわっているものは少ない。
これは観光が観光客本位のものであって、観光地はいつも利用される側にまわっていて、
観光地が資本家の手によって植民地化されているためである」

宮本がこの寄稿文を書いた時代から今を思うと、「果たして我々の時代は良い方向に進んでいるのだろうか」という疑問も湧いてくる。観光業が地方を「植民地化している」という宮本の見解はかなり厳しい。過激的と言ってもいいような表現だ。しかし、それでも宮本は人が旅をすることによって得られる効用を信じていたと私は受け留めている。旅による人々の出会いや交流こそが都市と地方、地方と地方に横たわる様々な問題を解きほぐし、再び深く結びつけると信じていたのではないか。そこから日本という国の枠組みを軽やかに超えて行く世界的なつながりも探っていただろう。そうであるならば、宮本が問いかけたかったのは「旅のあり方」だったのではないか。

宮本の文章を読んだあと、私の頭の中には繰り返し駆け巡ったフレーズがあった。その言葉は不思議な響きを持っており、それゆえに私の心の扉(鍵を掛けていたのもかかわらず)そっと開けてしまい、私も知らない私の心の奥底に住み着き、ちょっとやそっとでは「離れていかない」「離れていくことはできない」というような粘り強さも持ち合わせていた。

「観光地はいつも利用される側に回っていて…」
「観光地はいつも利用される側…」
「観光地は利用される側…」

HomeTownNoteは、その土地に住む人自らが自分たちの村や町のこれまでの歴史やこれから暮らしを発信していくことを大切に考えている。そこから宮本がいう「旅」の目的が促され、人々の出会いと交流が始まってほしいという願いがあるからだ。

しかし、足元の暮らしを見つめ直すためには、その人個人の志のみならず、「外の目」を持つ人の励ましや応援、助けが必要になってくる。何故ならば、日々の暮らしはその土地に住む人にとっては同じことの繰り返しのように思えるものであり、それゆえ味気なく、魅力的とはお世辞にも言えないからだ。それに比べて村や町の外の暮らしが、煌びやかで、憧れを誘い、夢を掻き立てるものに見えるは無理もないことだ。つまり、足元の暮らしを見つめ直す人は昔も今も決して多くはいないのだ。

しかし、もし誰かが宿命的なきっかけや運命的な偶然から、外に注いでいた眼差しを内に向けた時に、まだ踏み出してはいない他の人が、その奇跡的な一歩を感じ取れるようにはしておきたい。誰かがどこかで自分と同じように考え、しかもすでに踏み出していることに気付くことができれば、きっとその人の背中を押すような勇気を与えることになるだろうから。

地域遺産は、一歩を踏み出した者同士が出会い、励まし合い、助けあうための仕組みである。
自分が投稿した数に応じて得られたポイントを他の会員に贈ることで私たちは遠く離れていても気持ちを交わし合い、同じ道を歩むことができる。

故郷の信州にて八ヶ岳の眼差しを背中に感じて記す。
2019.12.30 映画作家 由井 英