東京都大田区

物置きタイムマシンの探検記 No1. 1920~

2020/06/24

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旅・移動手段

大正(1912年〜1926年)

COVID-19 タイムマシン 物置き 歴史 時代 デザイン


2020.6/23



1.「物置き」は我が家の「タイムマシン」

 2020(令和2)年4月7日、新型コロナウィルスの感染拡大防止の緊急事態宣言が発出され、大型連休を含めての全国的な外出自粛要請、Stay Home!がはじまった。

 そこで、一念発起して、庭にある一坪ほどの物置の解体撤去に取り組むことにした。この物置は、1985(昭和60)年頃に、筆者の亡父が生前、庭に設置したもので、先々代からの文書や暮らしの品々が詰まっており、長らく「開かずの物置」となっていた。

 物置の中にうず高く積まれた木箱や段ボール箱をひとつずつ開けて、内容を確認しながら整理していくのは、それなりの根気と時間が必要であった。外出自粛で旅行はできないが、しかし、この物置という我が家のタイムマシンの探索はなかなか興味深く、すっかりハマってしまったのである。

 という訳で、まるで玉手箱のように、次々と出てくる歴史の景色の一端を探検記としてここでご紹介させていただこうと思う。

2.今年は国勢調査100年、亡父生誕100年!「タイムマシン」で定点観測

 物置を設置した亡父は、1920(大正9)年10月の生まれで、今年が生誕100年である。そして1920(大正9)年の10月1日は、我が国の記念すべき第1回国勢調査の実施日で、こちらも今年で100年目の節目の年である。

 なので、100年前の10月1日を出発点に、物置きタイムマシンの探検記も5年ごとの国勢調査に合わせて定点観測していくことにしたい。

 まず最初の写真(下左)は、第1回の「国勢調査申告書」1)である。この申告書には、我が家は次のように記載していた筈だ。以下、()内の当時の調査項目ごとに戸籍謄本などをもとに推定して記載してみる。なお個人情報保護のため一部省略している点はご了承願いたい。

 (住所)大阪府大阪市南区難波稲荷町〇丁目〇番地,

 (氏名)祖父氏名、祖母氏名, 

 (世帯に於ける地位)戸主、妻,

 (男女の別)男、女,

 (出生の年月日)明治19年9月〇日、明治24年11月〇日,

 (職業及び職業上の地位)電気機械器具製造販売 業主、職員,

 (出生地)東京市四谷区、奈良県南葛城郡. 

 以上が当時の調査票に記載した申告内容の推定である。

 祖父は東京市四谷区に生まれ、東京市立四谷第二尋常小学校を卒業後、横須賀海軍工廠、東京電燈株式会社(我が国初の電力事業会社)、日活などに勤務し、その後、独立して電気器具製造販売業を営んでいた。

 そして、第1回国勢調査の結果、1920(大正9)年10月1日午前0時の我が国の総人口は55,963,053人であった2)

3.100年前の記念写真-「スペイン風邪」をかいくぐって-

 父は最初の国勢調査の日からほどなくして生まれた。次の写真(下中央)は100年前の父の初宮参りの記念写真である。

大阪 佐々木 赤手拭稲荷前」、「Y.SASAKI,NANBA.OSAKA」の刻印と裏に手書きの「大正9年、父氏名」の記載がある。この撮影場所は、現在、大阪市浪速区桜川で、南海汐見橋線に平行して運行する大阪シティバスの「赤手拭稲荷前」停留所付近と思われる。

 写真は、祖父34歳、祖母28歳、生後数か月の父、そしてマスコットである。この前年、世界最悪のパンデミック「スペイン風邪」の猛威がようやく収束しており、その惨禍をかいくぐって誕生した父と両親の一家の記念写真である。

 では、インフルエンザウィルスによる「スペイン風邪」パンデミックの惨禍はどのようなものだったのであろうか?

 本3)から一部を引用要約してみる。

 1918(大正7)~19(大正8)年のパンデミック「スペイン風邪」は、第一次世界大戦中に起こった。

 参戦国が厳重な報道管制を敷くなか、中立国のスペインのみが新たな伝染病について公に報道していたので、発生源とは全く関係ないのに、勘違いをされて、「スペイン風邪」と呼ばれた。「スペイン風邪」のインフルエンザウィルスにとって、第一次世界大戦は願ってもないチャンスであった。

 大規模な軍隊の移動、4年に及ぶ戦時下で、資源はほとんどを戦争に投入され、慢性的な栄養不良、貧弱な保健医療、不十分な住宅供給などで人々は疲弊しきっており、インフルエンザは広まる一方であった。

 1918(大正7)年の夏にはアメリカ大陸、ヨーロッパ全域、アジア大陸を巻き込み、その感染拡大のあまりのスピードに国家や地方政府もなすすべがなかった。そして、ウィルスはより強毒性を増し、第2波となって全世界を襲い、人々は人類滅亡の恐怖に心底怯えた。

 アメリカでの死者は54万人、イギリスは22万8千人、インドは1,250万人、ロシアは45万人、日本は38万人、等々とリストは延々と続くが、犠牲者の数は、現在では5,000万人前後だったと考えられている。実に世界人口の1~2%が死亡している。

 しかし、1919(大正8)年になると、インフルエンザは、速やかに、どこへともなく消えていった。

 2020(令和2)年の新型コロナウィルスは現在、「米ジョンズ・ホプキンス大によると、米東部時間6月22日午後2時(日本時間23日午前3時)時点で、累計の感染者は188カ国・地域で約900万6千人、死者数は約46万9千人。」と報道されている4)

 「スペイン風邪」の猛威を思い起こしたい。

4.関東大震災の新聞号外の数々-「伝える」ことを思う-

  次の写真は、先の初宮参りから3年に満たない、1923(大正12)年9月1日11時58分ごろに発生した関東大震災を伝える新聞号外の数々である。

 この時、一家は同じく大阪におり、大震災当日の大阪は、最高気温31.9℃、最低気温24.3℃、平均湿度74%,.2ミリの降雨と蒸し暑い天気であった5)関東大震災は、震央:3519.8'N 1398.1'E ,深さ23㎞、震源域:神奈川県西部から房総半島南東沖、規模:M=7.9で、東京都千代田区大手町で震度6を、大阪市中央区大手前でも震度4を観測している6)

 当時はラジオ放送もまだ開始しておらず(1920(大正9)年、アメリカ、ピッツバーグのKDKA局の放送開始からラジオ放送の歴史は始まるが、我が国は1925(大正14)年からである。)7)、新聞はまさに貴重なメディアであった。

 「スペイン風邪」などのウィルスは、動物や人体の宿主の細胞を借りて自己を複製し増殖して他の宿主へと伝染していく8)

 情報もまた複製、増殖されて伝わっていく。その媒体は印刷媒体の新聞や電波を媒体としたラジオ、テレビ、そしてインターネットへと進化していく。

 1920(大正9)年代の時代は、工業化に伴って都市への人口集中が進み、人々の生活に機械や電気が浸透し、メディアや交通機関の発達で、大量生産大量消費型社会へと向かっていた。人や物の流れは、かつてない空間的広がりをもつに至り、伝える力も飛躍的に高まっていくのである。

 そして、今、物置というタイムマシンにいる私、その私を介して代々の命が伝えられていること、そこに思いをはせる。しかし、100年前のここにある事物の人々は、その行く末が、どこに向かっていくのかは誰も知る由もなかった。そして今も。

次回へつづく

【引用・参考資料】(URLをクリックまたはタップすると該当サイトへ遷移します。)

1)       総務省統計局,「国勢調査100年のあゆみ」,

https://www.stat.go.jp/data/kokusei/2020/ayumi/,2020.06.15参照

2)       e-Stat政府統計の総合窓口,「大正9年国勢調査:1面積及び人口-地方別」https://www.e-stat.go.jp/,(各ページのURL省略), 2020.06.22参照

3)       Tom Quinn,日本語版補遺:塚崎朝子,山田美明,荒川邦子訳,「人類対新型ウィルス:私たちはこうしてコロナに勝つ」, 2020,朝日新書767

4)       日本経済新聞,「新型コロナ、世界の感染者900万人超に:米国の死者12万人超」, 2020/6/23 4:07 (2020/6/23 6:10更新),

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO60665400T20C20A6000000/,2020.06.23参照

5)       気象庁,「各種データ・資料:過去の気象データ検索」,http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/ (各ページのURL省略), 2020.06.23参照

6)       国立研究開発科学法人防災科学技術研究所,「自然災害情報室:関東大震災の概要」,https://dil.bosai.go.jp/disaster/1923kantoeq/kaisetsu.html, 2020.06.23参照

7)       日本ラジオ博物館,「ラジオ放送開始から1928年まで」,

http://www.japanradiomuseum.jp/meseum1.html, 2020.06.23参照

8)       朝日新聞記事,「明日へのLesson:宿主細胞の「装置」借りて増殖」,2020//17朝刊

 

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