畑ではエンドウ豆の実りが春から夏への季節の移ろいを想像させる4月。贅沢に冷製ポタージュに仕立てて、ゲストをお迎えする準備が整いました。
ゲストの堀江亮太さんは通信工学のご専門家です。人間の脳がどのように感情を司り、行動選択や意思決定をしていくのか。言葉になる前の無意識が意識へと変換されるそのプロセスを脳波からご研究されています。
近代科学は、私たち人間がつかさどる「ことば」をどのように扱ってきたのでしょうか。これが今回の対談の問いであったように思います。昨今ではAIが人間の脳のような世界を再現し、パーソナリティさえも確立できる存在として著しい発展を遂げています。反応を求めれば、膨大なデータから適切なパターンを選び出し、提示する。さらに使用者の反応次第で、求めているものを学習し、膨大なデータの中のカテゴライズされた一定のパターンを適切な回答として提示します。このプロセスは一部では人間の学習プロセスと同じであります。私たちは個人が経験したデータの中から判断し、適切な答えを探していく。その時に扱われるデータベースは、「経験の時間」にほかなりません。他人の経験ではなく、自分の経験が最優先されます。しかし、AIには「わたし」という世界はなく、他者の膨大なデータから、万人への適用のための論理を構成し、汎化(generalization)させていくと言えるでしょう。この時に、人間の具体的な経験や言葉はどこに行ってしまうのでしょうか。
堀江さんと由井さんの対話は進みます。
誰かの文脈に乗りデータの正確さを高めることから、因果関係の証明を行うことで追従可能にしてきた世界を「科学」の世界とし、「近代」の特徴でもあると対話します。その媒介手段として言葉を扱ってきたわけですが、言うまでもなくここで対象になるのは人間の言語です。人間以外の「ことば」は分からないものとして捨象されてきました。分からないものをコントロールしようとした結果が、「近代の科学」であるというわけです。今わたしたちが考えたいのはAIの是非ではなく、人間以外の存在も含んだ「わたしたち」という主語をどのように扱えばよいのかという問いです。このことに私も考えも巡らせました。
かつては人と人、人と人以外のコミュニケーションが存在していたはずです。手紙やものがたりもその一例です。口頭伝承で伝えられてきたものがたりは地域のすべての主体同士のコミュニケーション手段であったと言います。コミュニケーションですから、「目的」や「論理」はなくされ、ただ生き方を共有する方法であったはずです。
堀江さんはご自身の生きてきた道を振り返って手がかりを探します。堀江さんにみえている世界の輝きはまさにセンス・オブ・ワンダー。生物の世界の魅力に引き込まれ、子どもの言葉と考え方を往復し、一つひとつの出会いを確かめながら、世界との交歓を踏みしめていく。論理を超えた表現のかたちが無意識にも経験からにじみ出ているともいえそうです。
科学の最先端で、私たちが立ち返る場所を持ち続けること、それが未知なる原風景を探す手がかりとして浮かび上がってくる時間でありました。
「未知なる原風景とは 世界中の人々と生命が楽しく踊る。」
ーー2026/04/23 堀江亮太さん

“建てもの” の 向こう側には 諏訪 がある
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ものがたりをめぐる物語