地域 岐阜県岐阜市

自分たちの作ったものには先がある|山本佐太郎商店【3】

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手仕事・技

平成(1989年〜2019年)

お菓子 山本佐太郎商店

2017.11.22 取材


山本佐太郎商店といぶき福祉会の出会いには、「ツバメヤ」というお店が関わっている。そもそも「ツバメヤ」のお菓子のひとつをいぶき福祉会で作っていたことに端を発する。お菓子職人の「まっちん」との出会いも「ツバメヤ」だったことは前にも触れた。


山本佐太郎商店の創業は明治9年。佐太郎というのは今の代表の山本慎一郎さんのひいお爺さんの名前だ。当時、岐阜でも菜種を栽培しており、それを石臼でひいて油にしていた。地元では老舗の油問屋として知られている。しかし、お菓子づくりは全くの異業種。何もわからないところからの出発だったという。ある時から、自分たちの作ったものには先があるという意識が働く人に芽生えた。そこで、まっちんと二人で、いぶき福祉会を訪ねる。まっちんが考えたレシピ通りに作ってくれると快諾をもらい、「かりんとう」が生まれることになる。


「いぶき福祉会のことは、一つのメーカーとして対等なお付き合いをさせて頂いています」と山本さんは言う。「福祉施設だからということを言い訳にすることはいぶきさんもないですし、当店もそういう見方をすることはないです。プロとして付き合わせて頂いております。」


しかし、当初は噛み合わないところもあったようだ。「ある時点から変わったよね」と遠い記憶を呼び覚ますように山本さんが言った。今ではそんなことを全く気にしていない様子だが、初めは望む品質や生産量を確保することができず、かなりのやりとりがあったらしい。いぶき側にも戸惑いがあった。「特に生産量を増やすことが大変だった」と永田和樹さんは言った。


「大地のかりんとうを作り始める前までは、おそらく週に10kgちょっとぐらいの製造だったと思います。それから仕事量が徐々に増し、週10kgが日に10kgになっていったんです」


何より働く人が戸惑った。「なんでこんなに作るんだ」と。週10kgが日に10kgとなれば、無理もない。かなりの負担を感じただろう。


「いぶき福祉会」が作業所としての工房を構え本格的に活動を開始したのは、1994年の法人化の時からだという。仕事を通じて社会と関わりを持ち、自分たちの生活や暮らしを自らの力で作って行く。法人化に向けて、障害者の親御さんを中心に寄付を募り、数千万円を集めた。そうした支援の上に自分たちの仕事があるのだと、今はそういう気持ちでみんなが働いていると永田さんは言う。しかし大量にお菓子を作らなければならないことに直面した時、目の前の作業をこなすだけではなく、仕事への意識を根本から変えて行く必要に迫られた。その意識が「ある時」から変わった。


「ある時から、自分たちの作ったものには先があるという意識が働く人に芽生えた」と永田さんは言った。


それは例えば、いぶき福祉会のみんなが楽しみにしている年に一度の旅行の時だった。旅の途中で売り場を巡ることがあり、店先で自分たちが作ったお菓子をお客さんが買って行く姿を見たり、話し声を耳にした。そうした生の体験によって客の存在をみんなが実感したという。つまり、自分たちが作ったものの先には、お菓子を食べてくれる人がいる。喜んでくれる人がいる。それ以来、品質に対しても、良くないものを世の中に出すわけにはいかないという自覚も生まれてきたという。今では大地のかりんとうも毎日40kgの製造で、1週間で200kg弱作るようになった。


二人の話を聴きながら、私は「なるほど」と声を出して頷いた。そこからあの、乾燥剤を二つ綺麗に並べる仕事ぶりも生まれてきたのだろうと、いろいろな話が頭の中で繋がったからだ。


 取材協力・文章確認:山本佐太郎商店
オンラインストア:
https://www.m-karintou.com/


さて次回は最終回、山本佐太郎商店の代表、山本慎一郎さんの人柄について書きます。実際にお会いしてみると、写真のお顔からイメージするおっとり優しそうな人柄とは異なる印象を受けました。

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写真

2020/06/10 (最終更新:2020/06/12)

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