福岡県北九州市門司区

残香

2021/02/21

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その他

昭和(1926年〜1989年)

加入している生協の小冊子が毎月届く。中の記事は読んだり読まなかったりなのだが、裏表紙のエッセイだけは必ず目を通す。私が目を通すというよりも向こうからこちらの意識を掴まれるといった方がいいのかもしれない。
力のある文章にはたった数行、数語の言葉の連なりにさえ、そういった魔力がある。


エッセイを連載している藤原新也さんの数多の著作の中で読んだことがあるものは未だ数冊のみ,ただ、鋭い言葉で時事的なモヤモヤをバザリバサリと切っていく強者というイメージだった。

それが今回は、見飽きたコロナという言葉の中に、“ 郷里、門司港の名料亭「伯翠庵」が閉じる顛末を”という、これだけでももうなんとも詩的な、叙情的なくだりがあり、まんまと懐古趣味をくすぐられて、誘導されるままに携帯を手にした。

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故郷、門司港の移り変わりから、青年時代からの行きつけだったという料亭「伯翠庵」閉店のその日の話まで、6回に渡る物語。一回10~20分程度。上質な小説そのままの、率直な、けれども繊細、かつ硬質で確かな言葉がそれこそ伯翠庵の隣のせせらぎのように緩やかに流れていく。

国際航路の拠点としてあった全盛期のかつての門司港の威勢のよい華やかさ。大旅館を営んでいた父親の破天荒な、けれど微笑ましい道楽の様。
そのエピソードが門司港を行き来していた往時の人々の足音や息遣いを伝え、その地の馥郁とした豊かな文化を想起させる。
そして、風流の極致を宿した料亭「伯翠庵」の物語。

泣いた。

決してお涙頂戴の物語ではない。淡々としたドキュメンタリーなのだが、聞きながら運転していた手を何度もハンドルから離し、涙を拭うこととなった。

細く曲がった山道の先にある“お辞儀をしているよう”だというそのなだらかな庵の門。山から庵を見守る楚々とした町寺、神社。

嫌味のない室礼。厠にそっと生けられている野花。

“人の話を心で受け止め、自分の気持ちを返す”という女将。

料亭になどろくに行ったこともないような私でもその素晴らしさが伝わってくる。

席を取ろうとしたら、後でかけ直すと言ったはずなのに連絡が来ない。そんな珍しく変則的なやり取りを経て訪れたその日のお会計の後、実は、と女将から翌日の閉店をそっと告げられる。

そして閉店のその日。

全霊で臨む板長と舌の効く古くからの上客との、真摯な魂のまぐわいが九州の美味を運ぶ一皿一皿を通して交わされる。

そもそも料理とは動植物の命を頂戴するものだし、そしてそれにより自らの命を育むもので、ないがしろになどできるはずもないのだが、連綿と続く忙しない日々の中でおざなりになってしまうことも多い。

それをわざわざ特別な機として、食を前に時を慈しむのは外食をする醍醐味であり、最高の贅沢の一つに値する。

しかしそれを供する料理人は、えてしてそれほど社会的には報われることなく、特に日本料理では職人として技術に身を捧げ影の役者に徹する事が多いのでなかろうか。

ここでは板長のお名前と年齢、そして同じ九州の、その出身地を明かすことで、さり気なく最上級の敬意と賛辞を送っている。

60年の歴史を持つ伯翠庵の閉店は“門司港の片腕がなくなったような”、“門司港”自体が“閉じたようなそんな風に感じた”と語られる。

料亭とは単に料理を楽しむ場だけではなく、その地の文化、磁場を育んできた懐の深い場所なのだろう。

自覚の有無にかかわらず、人は生まれ育った土地、過ごした地の磁場と結びつき、自己を形成していく。

その土地の豊かさが失われるということは、その磁場と結びついていた魂のよりどころを失うことなのだと思う。

寂しいけれど、美しい話だった。

訪れたこともない「伯翠庵」の残香がいつまでも胸に漂っている。

藤原新也 新東京漂流 
 

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飯島 聡子さんの投稿