「境界」とはなにか、「間(あわい)」とはなにかを問われる場所

2020/12/09

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風景・地形

――アヨロ - 岬には印象深い場所がある。
「あの世の入り口」とも訳される「アフンルパル」というアイヌの遺跡である――

立石信一氏の「土地の記憶」という文章で紹介された、この場所に私も立ってみたくなり、秋まっさかりの北海道白老町(苫小牧から西へ約40km)を訪れた。

 

そもそも、研生英午 編『鹿首 第八号』(2015年、鹿首発行所)に掲載された、「間(あわい)の消えゆく空間で」という立石信一氏と国松希根太氏による論考の題名と内容に、私が強く惹かれるものがあったのがきっかけだった。

 

「地獄谷」として今も煙をもうもうと上げて湯が噴出している山のふもとにある、登別の温泉街から海の方へ降りてくると、白老町と登別市の境界あたりにアヨロ - 岬がある。

その一角にあるアフンルパルは、岸壁沿いにある小さな洞穴で、奥行きも3メートル前後で、先へは行けないようになっている。あたりの岸壁では、ロッククライミングの練習をする人たちがいた。

立石氏の文章によると、「そこを通ってあの世から死者の幽霊が出て来たり、この世の人があの世へ行って来たりする伝説がついていて、そこへ近づくのはタブーになっている」そうで、「その昔連れ合いの亡くしたおじいさんが、ある日浜辺で亡くなったはずの連れ合いが昆布を拾ったあと、浜辺の岩穴へ入っていくのを見て、追いかけたが穴は行き止まりになっていておじいさんは入れなかった」(『白老 アイヌ語地名マップ』社団法人 白老観光協会)という伝承が白老に残されている。

 

立石氏は、「アフンルパルはしばしば村外れに現れ、風景の末端部を形成する。つまり、土地と人の記憶が一体となり、間(あわい)のような空間を作り上げ、そして意味付けをした場所が境界域を成していたように見えるのである。場所性ということになるだろうか。人と土地が一体となり作り上げる記憶、特色が確かにここにはある」と指摘する。

たしかに、白老のアフンルパルにしてもアイヌの人びとが意味付けをしなければ、日本列島至るところにある海岸の洞穴の一つに過ぎなかっただろう。それがアイヌの人びとの暮らしの文脈で、どう意味付けされていたのかを皮膚感覚で知れないもどかしさも私は感じた。

 

『萱野茂のアイヌ語辞典 増補版』(2002年、三省堂)には、

「アフンルパラ[ahun-ru-par] 冥土の入り口 ▷アフン=入る ル=道 パラ=口

*二風谷ではカンカン沢を2kmほど登った所の右岸台地にアフンルパラがある」

という記載がある。

 

ちなみに、今年の秋に公開された福永壮志 監督・脚本の映画『アイヌモシリ』を先日観たところ、

「森の方へゆくと、大きな岩があって、そこはあの世への入り口なんだ」というようなセリフがあった。この映画の舞台となった北海道阿寒では、そういったあの世とこの世の境界においては、「あの世からこの世に故人が来ることはできるが、こちらからあの世の入り口に入ることはできない」と考えられているようである(映画のなかのワンシーンから)。

 

以前に、北海道に住む徳村彰氏の『森はマンダラ』(2014年、萬書房)という本で、「さち」についての指摘を読んだことがある。

徳村氏は、中沢新一氏の著書からヒントをもらい、「さっ」というのは古代日本語で境界、異界との境目を意味し、「ち」は霊力という意味があると記している。さらに、「さか」や「みさき」などを例に挙げ、そういうところに縄文の遺跡や古い神社などがあり、遠い昔日本列島に生きた人びとは境目に霊力を感じる能力をもっていたと中沢氏の指摘をまとめている。

私が、立石信一氏の文章やアフンルパルという場所に惹かれるのは、そういった「幸=さち」ともなにか関係がありそうだと感じたからなのだろう。

アイヌ語のなかで、「さ」や「ち」を含む言葉についてはまだ調べられていない。

 

また、現在白老に住む方々がどうアフンルパルを認識しているのかは調べられなかった(「地域遺産」ではなく「日記」へ投稿した理由の一つ)。

 

この世界はただのんべんだらりと大地が広がっているのではなく、まっさらな日々があるのではなく、暮らしの中には境目がある、と言えるだろうか。

旅行者には見えにくい、そうした境目に、古来から人びとは何かを感じて、時に生きる力をもらっていたのかもしれない。

立石氏は「土地の記憶」の文章の冒頭で、赤坂憲雄氏の『境界の発生』から以下の箇所を引用している。

「かつて境界とは眼に見え、手で触れることのできる、疑う余地のない自明なものと信じられていた。しかし、わたしたちの時代には、もはやあらゆる境界の自明性が喪われたようにみえる。境界が溶けてゆく時代、わたしたちの生の現場をそう名付けてもよい」

 

自由に旅や移動がしにくい昨今だからこそ、自分の足元を見つめて忘れかけている「間(あわい)」のようなものを感じてみたい。

安直かもしれないが、そういうところに「さち」のヒントがあるのかもしれない。

写真

アフンルパル周辺の岸壁
アフンルパルの穴のすぐ近くで、ロッククライミングの練習をする人びと(いろんな意味で怖くないのだろうか)
アヨロ-岬 突端部の灯台
写真はすべて、2020年10月31日に撮影。
カムイミンタラ
一説によると、神の世界から神々が降り立ち、遊びに興じる場所とされていたところ。
アフンルパルのある岸壁の上部周辺にあたると思われる。

速渡 普土さんの投稿