北海道長沼町

消えたヌマボボ

2020/10/20

2pt

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植物・農作物

昭和(1926年〜1989年)

ある野生の植物に価値を見出した場合、その植物が栽培植物へと進展するか否かは、人間側の様々な事情が影響します

 こういった視点に気づかせてくれたのは、北海道立総合研究機構林業試験場の錦織正智さん。風土と生業の関連でも、この指摘は根源的であり重要なものであると思う。

 

 もともと、キノコに興味があり、林業試験場という場所に一度行ってみたかった私は、案内してくださった錦織さんの現在進めていらっしゃるご研究が、「北海道とアメリカ、それぞれの新天地で入植者が目の当たりにした野生のクランベリーをめぐって、なぜアメリカでは栽培化され、北海道ではそうならなかったか」という問いに基づいて、北海道におけるクランベリーの栽培化へ向けた研究であると伺い、自然と人間の関係の歴史に興味がある私は、そのテーマに強く惹かれた。

 

 

 クランベリーは、オオミノツルコケモモ(別名:アメリカンクランベリー)とツルコケモモ(別名:スモールクランベリー)の大きく二つに分けられるようだ。現在ジュースやドライフルーツなどの加工品として出回っているクランベリーは、北アメリカから輸入されるオオミノツルコケモモにあたる。

 

 アメリカでは、入植者が開拓地周辺で豊富に採れるクランベリーを食生活に取り入れ、当初は好き勝手に自生地から採取していたが、19世紀になるとクランベリーの収穫は自家消費に販売目的も加わった。その後、自生地の湿地よりも砂地の方が収量が増えることが発見されたり、造船業の衰退によってそうした業界に関わる人たちがクランベリー産業に生計を頼ったりといった事情が重なり、1800年代後半には、クランベリー栽培は大きな産業に発展した。

 

 一方の北海道では、湿地地帯に入植した人たちによってツルコケモモは「ヌマボボ」と呼ばれ、生のままや漬物として食べられていたという。

(日本領有下の樺太で、島民が暮らしにツルコケモモを取り入れている様子は、詩人の北原白秋が著した『フレップ・トリップ』に詳しく書かれているとのこと)

 戦後の日本では食料自給率を引き上げることが喫緊の課題となり、土地改良事業でツルコケモモの自生地は農地になっていった。

 

 錦織さんは、札幌から車で東へ1時間弱の場所に位置する、長沼町を例に出して、ヌマボボがあった時代の様子を読み取ろうとしている。現在の長沼町舞鶴地区に本格的な入植が始まったのは明治26(1893)年のこと。
 長沼町立長沼舞鶴小学校の開校80周年記念誌には、昭和30年代以降の様子が以下のように綴られている。

 「舞鶴で生活した人にとって忘れることが出来ないヌマボボは、(中略)5月末から6月にかけて淡いピンクの花が咲き、直径1センチほどの実が、お盆を過ぎる頃から赤く色づき始めると、近所の子供達ばかりでなく、遠くの小学生達も遠足をかねてやって来た。ヌマボボ採りは子供達ばかりでなく大人達にとっても楽しみな年中行事で、町内ばかりでなく遠く恵庭方面からも家族そろって来るので沼は大変な賑わいとなり、近所の農家は畑を踏み荒らされて困ったが、あまり文句は言わなかった。甘酸ぱい実は、そのまま食べたり、大量に採った物はカメに何本もつけ梅漬けのかわりにして食べた」(「まいづる 開校80周年記念誌」1984年, p.86)

錦織さんは、舞鶴地区への入植者(本土出身)の出身地の方言を調べたが、「ヌマボボ」は見当たらず、この地域で生まれた「地方名」「方言」ではないか、湿地の「沼(ヌマ)」と実がたくさんなる様や赤い実を表す「桃(モモ)」が合わさって生まれたのでは、と推測している。


 

 ここで、本稿の冒頭に引用した錦織さんの指摘を再考してみる。

「ある野生の植物に価値を見出した場合、その植物が栽培植物へと進展するか否かは、人間側の様々な事情が影響します」

 

 ここで下線部の内容について、私なりにささやかな考察をしてみたい。錦織さんからこのお話を伺ったときに私は「マイナー・サブシステンス」のことを連想した。

 突然の引用だが、川田美紀氏は松井健氏の説明を引いて、「生計を維持するための主要な生業にはなりえない、つまり経済的意味はさほど大きくない生業のことであり、しばしば伝統的な活動で、採取から消費までの過程が短く、自然との密接なかかわりのなかでおこなわれ、高度な技術を用いず(ゆえに人びとが保有する技法によって成果が左右される)、楽しみや喜びといった情緒的価値をもたらすものである」という風にマイナー・サブシステンスのことをまとめている。

 複合要因はあるだろうが、私は北海道の場合、「ヌマボボ採り」は良きマイナー・サブシステンスの一つであったがゆえに、食料確保の目的の下においては、二の次のこととされ、食糧増産のために湿地の開拓が次々に進められていったのだと考える。

 

 余談だが、錦織さんは『森の生活』で著名なソローの最後の手稿とも言われる『野生の果実』という興味深い本を紹介してくださった。その序文では、「遠くで摘まれて相場師が輸入する果実ではなく、旬の初めに、バスケットを握って午後中歩き回り、離れた丘や沼から自分で摘み取って、家に居た友人に差し出す果実」

「美しい果実あるいは果実の一部を商品として売買することはできないというのは厳然たる事実で、つまり、果実の最高の有用性と果実の喜びは買うことはできない。それはじっさいに果実をもぎ取る人に与えられるものだ」

といったことが綴られている。

たしかに、スーパーで売られている果実と、自分で採った果実は種類が同じであっても、やはりなにか違う。ソローの指摘は、果実と「マイナー・サブシステンス」の関係についても問いをくれる。

(「どんな果実であろうとこの地方のものは、この地方の人間にとってどこの果実よりも数十倍大切だ。それらの果実は、我々がここで生きるための教えを授けてくれるし、我々に合っている。単に風味だけでなく、この地方の教育において役割を果たすという理由で、我々には、パイナップルより野生イチゴ、オレンジより自生リンゴ、ココナツやアーモンドよりもクリやクルミの方が大切だ」というソローの指摘は、「風土」のことを連想させる気がする) 

 

 錦織さんの栽培化を見据えられたご研究が、いつの日か北海道の新しい農作物として普及し、長沼町でもヌマボボの赤色で土地が染まる日が来たら――民俗学者の宮本常一は、「自然は寂しい、しかし人の手が加わると暖かくなる」と語った――その景色はとっても暖かいものになるのだろう。


 

 

<参考文献>

・錦織正智「昔、ツルコケモモはヌマボボと呼ばれていた」『光珠内季報 No.190 2019

・川田美紀「マイナー・サブシステンスの特性と社会的意味 沖縄県国頭郡今帰仁村古宇利地区を事例として」『大阪産業大学 人間環境論集 17巻』(大阪産業大学学会、2018)所収。

・ヘンリー・デイヴィッド・ソロー著/ブラッドレイ・P・ディーン編/伊藤詔子・城戸光世訳『野生の果実』(松柏社、2002年)

写真

舞鶴橋から南の景色
2020年9月(筆者撮影)の長沼町・舞鶴橋。
千歳川の北側には、畑が広がる(沼地は見あたらない)
長沼町舞鶴地区
錦織さんから頂いた『まいづる 開校80周年記念誌』のコピーより
ツルコケモモの花(6月)
錦織さんのレジュメより

長沼町の素敵な投稿を地域遺産にしましょう!

獲得地域遺産

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速渡 普土さんの投稿