長野県諏訪市

信州の寒天(その2)「釜あげ祝い」というご苦労さん会

2020/02/21

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その他

平成(1989年〜2019年)

寒天

寒天づくりについて、諏訪の株式会社マツキを訪ね、代表取締役社長の松木本さんにお話を伺いました。今回は(その2)として、寒天づくりのおよその工程を紹介します。まず、寒天の原材料がテングサとオゴノリであることは、すでにお伝えしました。そして寒天の種類には角寒天、細寒天、粉寒天があります。それを一覧にしてみると...


 
種類原材料
角寒天テングサ+オゴノリ
細寒天テングサ
粉寒天オゴノリ


寒天の種類によってテングサとオゴノリを使い分けていることがわかります。テングサは、一年草で養殖はできないそうです。主な産地は房総半島から九州までの太平洋側で、春から夏にかけて採取します。一方、オゴノリは養殖することができるため世界各地で生産されています。またテングサはオゴノリに比べ、粘りがあるのが特徴です。

角寒天はテングサとオゴノリを7:3ほどの割合に混ぜて作ります。テングサだけだと粘りが強すぎるため煮汁をうまく絞れません。そこでオゴノリを混ぜることでうまく絞り出せるようにしています。そのためオゴノリのことを「絞り草」ともいうそうです。また、あまり粘りが強すぎると乾燥する時に「角が立ちにくく」角寒天の特徴が出ないため混ぜる必要もあるそうです。

細寒天は原料をテングサに限定し、粘りを保たせて作ります。それは細寒天が主に羊羹などの製菓用に使われるからです。お菓子作りにはむしろ粘りが必要なんですね。お菓子の原料と混ぜてしまうため寒天の形状にはこだわりがなく、角寒天のようにカサを上げ、角を立たせる必要もありませんから、オゴノリを加える必要もないのです。


粉寒天は昭和25年ごろ、工業化されることで一般的に手に入るようになりました。オゴノリは煮立てた後、固まる力が弱いため「扱いづらい海草」でした。しかし、アルカリ処理することで固まることが日本で発見され、一気に世界中に広まったそうです。それによって生産量も増えていきました。


角寒天作りは、まず海藻を洗浄し、それを大きな釜で煮出します。 煮汁を絞って『もろぶた』という長方形の容器に移し、 ところてんを固めます。 それを『てん切り包丁』で棒状に切り分け、天日に晒します。陽のさす方向を意識しながら寒天を晒す位置を変えて、凍結と融解を繰り返していきます。およそ2週間ほど寒ざらしをすると完全に乾燥し、海藻の繊維質が浮き出たカサの高い見た目も美しい角寒天が出来上がります。

角寒天作りの最盛期は昭和15年ごろで、200社を超える寒天業者が年間およそ1200トン生産していました。それが昭和45年を境に減少を続け、現在では10社で86トン(2017年)の角寒天を生産しています。そこには決して明るい展望を描ける業態とはいえない、厳しい現実があります。

消費者のライフスタイルの変化により、寒天(ところてん)を食べなくなったり、ゼラチンなどの同じような商品との競合、温暖化などにより原料が入手困難になったことによる価格高騰、人件費の高騰などの原因があります。また諏訪では、昭和55年に中央自動車道「諏訪インター」が開設され、付近には商業施設が建ち、田んぼも宅地化され干し場が少なくなったこともあるそうです。 かつて松木さんの干場も茅野にありましたが、高速道路の建設により、現在の諏訪の中洲地区に移転したそうです。

そうした様々な理由からから、単に生産量が減少しただけでなく、年によっては過剰在庫も抱えるようになってしいました。手先やつま先が凍るような寒くて辛い仕事に耐えて作っても、寒天は売れ残りました。松木さんには今でも忘れらない出来事があります。

松木:「一番ショックだったのは... 

寒天作りがわった後、「釜あげ」というお祝いをするんです。釜を火からあげて「今年の仕事は全て終わりました」という、言ってみれば『ご苦労さん会』ですね。昔からそれを『釜あげ祝い』って呼んでいます。寒くて寒くて辛い思いをして、ひと冬働いて頂いた皆さんを「ご苦労さん」って言って、労をねぎらう会です。皆さんもそれを楽しみに我慢をして働くので、本当に待ち遠しい日なんです。働いている人に感謝の気持ちを表して酒を注ぎ、「来年も来てください」と次の年の仕事もお願いします。それがお願いできなかった年がありました。来年も働きに来てくださいと頼めなかった。過剰在庫のためどうしても生産を絞らなければならないことがあったのです。その時、我々は仲間意識が強いものですから、本音で言われました。「それは社長の責任だ」と。従業員から厳しく責められたのです。生産を縮小するために人を雇えないというのは、経営者の責任だと... とても辛かったですね。でもそれは本当に私の責任でした。」

その時から松木さんは、このままではいけない、何か新しいことをやらなければならないと真剣に考えたそうです。それがのちに、カフェ・レストラン「トコロテラス」の開店へと繋がっていきます。寒天を従来通り問屋に卸すのみならず、自ら直接顧客に届けることにしたのです。それは大きな大転換であり、カケであったろうと思います。次回は、トコロテラスができる経緯についてのお話です。


監修:松木 本(株式会社マツキ 代表取締役社長)


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