葉っぱが青々と茂り、ツヤツヤした赤いトマトや紫のナス、のびのび育った緑のきゅうりがたくさんなっているだろうと、胸膨らませていた私。しかし、私が想像した夏の畑の姿は"自然ではない"ということを、一枚の畑が教えてくれた。
畑を眺めると確かに一面が青々していた。しかし、赤や紫や緑の実の数は少なかった。聞くと、この夏の暑さにより野菜たちも元気がないようだ。実ができないということはその分だけ種ができないということである。「今は子孫を残す元気がない」あるいは「ここでは子孫を残せない」と野菜たちが訴えているのかもしれない。
逆に私がイメージした青々して色とりどりの畑は子孫を残す生命力に溢れているということだろうか。農薬を使って"害虫"から守られ、化学肥料を使って栄養を十分に与えられて育った野菜たちは子孫を残す力がみなぎっているのだろう。しかし、その子孫たちが生まれ落ちる土は健全で、100年先もそこで植物は育つことができるのだろうか。
今回収穫させて頂いた1本のオクラを細く輪切りにして梅と和えて、5人で分け合って食べた。いつもなら一口で食べてしまう量をゆっくり少しずつ味わって食べた。お腹が満たされた感じはしない。しかし食事とは本来こんなものなのかもしれないと思った。
由井 英
川崎市宮前区
2024/08/22
ユイハさんの投稿かな? ありがとうございます。
作物の気持ちを汲み取るのは難しいですね。わからないことばかりで失敗の連続です。それでも続けているのは、きっと収穫という結果の他に何かを得ているからだと思っています。それは何でしょうね。