12月19日、横国大で開講されている公開講座、横浜建築都市学「現場の思想」の授業が開講されました。由井さんと私は2週間前と同じように国道1号線沿いを歩きながら、どんぐりの森を抱える横浜国大の会場に向かいます。(初回の授業はひとつ前の投稿をご参照ください。)
『ものがたりをめぐる物語』後編
授業は、映画を観るところから始まります。受講者は階段状になっているホールで一つのスクリーンを囲んで本作品と向き合います。私がこの映画を観るのは、今回で3回目でありました。近代と信仰(風土?)という2つの軸を前にして、今回はどのように観えるのか...。変わったのは、映画に出てくる諏訪の人と陸前高田の人との距離感です。近くなったわけでも遠ざかったわけでもないのですが、無意識の世界の中で両者はつながっているのかもしれないと思うようになったのでした。詳しく説明すると、近代文明は意識の世界ですべてを語っていきます。見えるもの、わかることをどんどんと増やしていくことが「進歩」と言えるでしょう。しかし、映画に出てくる土着の人は、見えないもの(神、子供、先祖、死の世界などなど)に対して並々ならぬ精魂を傾けているのです。つまりは無意識の世界をさまようことを恐れていないと、私には見えました。
トークセッションから対話へ
映画上映後は由井さんから受講生に出されたお題に回答するところからスタートしました。やり方は現代的で、スクリーンに映し出されたQRコードを読み取って、スマートフォンから回答します。その間に由井さんとモデレータの多和田さん(横国大・教育学部教授)のトークで対話への入り口を整えていくのです。
回答が出そろうと、由井さんと多和田さんのお二人の目に留まった回答がピックアップされ、前のスクリーンに映し出されることによって全員と共有されます。匿名で回答していますので、回答者は自分の回答だと気が付くと、マイクを手に取って話始めます。
回答を聞いていると、自然と受講者が映画をどのように観ているのかが伝わってきます。ある人は科学に対するためらいを持ちながらも、頼らなければ生きていけないという葛藤を語り、ある人は風土に寄り添う暮らしは、自分からは遠いけど、小説や本のものがたりの世界からならアクセスできるという感覚を持つと言います。その大前提として、自然は「観念」であるという見方から入る人もいました。人と風土の関係性を問うことが、どれほど今の私たちに実感を伴って迫ってくるのだろうか。と問われた時間でもありました。それでも私たちはどこかで無意識の世界につながれているはずです。それが風土に根ざす人間の固有性でもあると伝わってきた時間でした。
帰り道
横国大がある神奈川県横浜市も巨大な都市のひとつです。そこにどっしりと構える巨大なキャンパスの中には小さな森がありました。毎日の通学を支えるこの木々が、都市の中の小さな森として、何か足元に広がる世界へ誘う入り口になるのだろうかなどと妄想を膨らませながらながら、キャンパスを後にしました。
大変貴重なお時間をありがとうございました。
(松田理沙)

“建てもの” の 向こう側には 諏訪 がある
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ものがたりをめぐる物語