令和7年 9月6日、新百合ヶ丘の川崎市アートセンターにて、『オオカミの護符』の上映会+トークイベントが行われました。
制作者である小倉美惠子さん、明治大学大学院生の松田理沙さん、そして御師の私もお招きいただき、60分のトークセッションを行いました。
客席がほぼ埋まるような約100人のお客様にお迎えいただき、お蔭さまでとても楽しく、学びを得る良い機会になりました。
お越しいただいた方、皆さま本当にありがとうございました。
さて。『オオカミの護符』に記録される映像についての雑感です。
御岳山の宿坊・山中荘の跡継ぎとしての、「御師」の孫としての。
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講の方を迎え笑顔の御師の祖父。支える後継者・現役の伯父。賑わう宿坊・山中荘。
これらはすべて失われ、現存しません。
ドキュメンタリーとして撮影された様子、風景そのすべてが、フィクションだったかのように現存しないのです。
これら、実在したはずなのにおぼろげになりつつある事物は、『オオカミの護符』という映像があるから温度を取り戻せるのです。良い悪いも含め、大切な思い出と重なる重要な記録。
映像はいわば、「(あの頃の)記憶再生装置」でもあるのです。
カメラを持つことが当たり前のなかで、「映え」だけではなく、人に見せる為の写真や映像ではなく、何気ない日常風景とか、日々使う道具とか、変わらない家とか、片付かない部屋とか。
そういったものもふとした瞬間に撮っておいたら、のちのち、あの頃の記憶を裏付けるものになってくれるかもしれません。
人はどうしたって忘れていくものですし、美化もしがちです。
記憶、記録。残すことって大事だなとあらためて感じました。
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加えて、現状を、いまを伝えること。話し、語り合うこと。
小倉さんや由井さん、皆さんが以前から語られていることで、今さら同じことを稚拙に言うようで恥ずかしいところですが、時代の変化も日に日に勢いを増してもはや超激流です。
「講と御師」はもちろん、たとえ「神社」であっても今後どうなるか。
何が起きてもおかしくないし、フェードアウトならまだしも、突然ブツっと途絶えてしまうものだってあるかもしれません。
もうどうしようもなく失われてしまうものは多いのでしょう。
そこでSNSとかYouTubeとか、メモ程度でも残しておいて、誰かがコメントしてくれたり、シェアして拡げてくれたり。
また誰かの目に触れ、記憶の片隅に残ってくれれば、今後、後世、また誰かが見つけて掬いあげてくれるかもしれない。
誰かの記憶に残ることが、再研究してくれたり復活させたり、何かの動きに繋がるきっかけになるんじゃないかと思います。
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残念ですが、確実に「最後の御師」の登場は近づいています。
「現状を伝える」ことをやってみよう。少しでも伝えてみよう。
行ける場所へ行き、話せること話してみようと考えています。

“建てもの” の 向こう側には 諏訪 がある
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ものがたりをめぐる物語