明治、大正、昭和初めにかけて製糸産業隆盛の頃、民家で営まれていた養蚕文化を後世に残すために活動している人たちがいる。
大切な蚕がきれいな繭をつくるまで、無農薬で桑木を育て、桑葉をあたえ、蚕の糞尿を掃除し脱皮を促し、蔟(まぶし)という格子状の枠において営繭(えいけん)を促す。6月初旬、4万頭3️齢の蚕が養蚕施設にやってくる。体調は10ミリ。この頃は桑の葉だけを包丁で小さく刻んで食べやすくさせる。蚕は高い方へ上がる習性があるため、彼らの上に網を掛け給桑する。上りきったところで網ごと移動することで、食べ終わった桑の枝、脱皮の皮や糞尿を片付けることができる。繭になる5齢まで2回ほどこの作業を行いながら、体の大きさに比例して飼う場所を広げてゆく。5齢になると蚕の体はちょうど大人の小指くらいの太さに成長し、桑を食べる量が格段に増える。彼らが桑葉をかじる音が、優しい雨音のように聞こえるところから「蚕時雨(こしぐれ)」と呼ぶ。
彼らがここに来て20日程経過しただろうか、桑の葉を食べず、白い体の半分に黄色みがさしはじめる。体を立てて頭を振るような動作をはじめると繭を作りたいという意思表示となる。この動作が目立ち始めると「上蔟(じょうぞく)」作業となる。
回転蔟(まぶし)という、碁盤目状の枠を中央で固定した装置の中に蚕を入れる。上に上がる習性から上部の部屋が埋まってくると、その重みで蔟が回転し、まだ空いている場所が上になるため、そこを目指して蚕が移動しまんべんなく繭が作られる構造に、人々の知恵が垣間見える。
蚕は、繭をつくる場所を決めると足場用に適した糸で場所を作り、その後繭用の糸で自身の周囲を覆ってゆく。この過程で5齢の体は、糞や尿を大量に放出し繭の中に収まるサイズに縮小するのも神秘的に見える。
少しづつ、そして静かに彼らの姿は見えなくなってゆく。
写真
秋用と春用で枝の剪定箇所を変えて育てている。
約10ミリ。生まれた時は2ミリほどというから、蚕は5齢までに1万倍に成長するとのこと。
湿気や病気に注意しながら1万頭づつ育て始める
時々停止しているのは食べ休めとのこと。
頭部にある器官で桑かどうかを瞬時に見分けて食べる。桑の樹液が更に食を増進させる。
基本的に蚕は食べるものがなくなるとじっとする習性があるが、時々食べ物を探しに脱走するものもいる。
4齢の頃には、部屋全体に飼場を広げていく。
体の半分を脱皮した蚕がいた。
石灰を撒くと蚕の体が乾燥して脱皮しやすくなるとのこと。
体の膨らみが増し食べる量も増える。
一度地面において蚕を入れ、蔟を上り始めたところでこのように吊るしてゆく。
いつの間にか、体が小さくなっていることに気がつく。
成分の違う糸を使い分けて、足場と繭を作ってゆく。
小刻みに頭を振りながら繭の内側を形作る。
糸を吐く。というよりは糸の先端を対象に接着させ体を振って、体内の糸を引き出しているとのこと。
2024/07/01
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“建てもの” の 向こう側には 諏訪 がある
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ものがたりをめぐる物語
岡谷市
2024/10/16
小倉 さま コメントありがとうございます。
今回の体験に参加されている方で、原村で天蚕を始めた方が居て、8月頃見学に行きました。天蚕の蚕は全く違い、クヌギの枝の下で緑色の威厳を放って居ました。繭もクヌギの葉に包まれて大きかったです。岡谷市の養蚕体験を今年も春と夏の2回経験することができました。続けることの難しさも知りました。有志のボランティアですが時間を作って今後も手伝って行きたいなと思います。
もりしたさま、コメントありがとうございます。
幼虫の孵化から産卵まで見届けたのですね。素晴らしいです。岡谷の小学校は(希望者だけかと思いますが)今も各々数匹飼う体験を行っています。養蚕を手伝いに来ていた方が孫が休日持ち帰ってきて自分に預けて旅行に行ってしまった。と嘆いていました。
少年だった自分も当時はこれほど貴重な経験をさせてもらっていると思っていなかったのでしょうがないですね。でも、そんな子どもたちが貴重なものだったと理解した頃も、岡谷の養蚕が続いていることが大事なのだと思っています。