8年前、夏の電車だったと思う。千代田線の表参道駅から代々木上原駅までの3駅の間、当時高校2年生だった私はつり革につかまりながら、友達に熱心に語りかけていた。
「ねぇ、宇宙の果てってどうなってると思う?」
友達が話を聴いていたかどうかは覚えていないけど、私は興奮気味で友達に語り掛けていたことは覚えている。
「今いるココから始めるでしょ?で、空に飛んでいって、大気圏に入って。それで地球の惑星を眺めるとこまで行って。で、銀河系の端まで行くでしょ?その先、その先ってどうなってるの?星の間を通り抜けて奥まで行って...って考えていたらまたココに戻ってきちゃうの」
そしたら目の前に座っていたおじさんが、スッと上を向く。目が合った。「『四次元球体』って調べてごらん。」とひと言残す。突然の言葉にびっくりして黙ってしまった。おじさんも相当に緊張していたのだと思う。きっと代々木上原駅まで行きたかったはずなのに、大汗かきながら代々木公園駅で降りていったのを覚えている。
ふーーん、「四次元球体」かぁ。
高2の夏は進路を考える時期だった。数学が好きだった私は(好きだけどできない。いつも赤点ギリギリ)理系に進みたくて迷っていた。
―――
結局、政治経済学部に来た。しかも、政治学科。毎日持ち歩いていた青チャートも埃をかぶって開かれることはない学部生活をおくった。
それから5年。気が付いたら大学院に来ていた。古典を読んでは現代社会をフィールドワークする研究室にいる。世界には分からないことがたくさんあって、それを研究者の知の蓄積と、〈わたし〉の経験で確かめていくのは面白い。
古典を読むなかで、グレゴリー・ベイトソンという知の巨人に出会った。彼が人生をかけて積み上げてきた一元的認識論に関する著作『精神の生態学へ』をゼミで読んだ。難解極まりないけど、ベイトソンの言葉は一つひとつがダイナミックで、しかし繊細で私の心に響いてきた。ベイトソンはこの世の「美しさ」の話を大真面目にしていた。かっこよかった。天使も立ち入るのをはばかるような、神聖な領域に、科学をもって立ち向かっていた。
「美しさ」ってなんだろう。私が大学院で考えてみたかったことかもしれない。だけど、こんなこと大真面目に言っていたら、研究になっていないと言われるだろうし、研究にするにはまだ問いが若すぎる。でもベイトソンが考えているから、それを頼りにして少し考えてみた。
一つのモデルができた。それはまさに四次元だった。美しさや神聖さは四次元の世界に生まれてくると思えてならなかった。ベイトソンは平面から立体に、二次元から三次元に移行するところに〈智〉が成立するという。私は一つの〈智〉を球体にみたてた。それは頂点がない世界だと思ったから。この三次元の世界に「時間」の座標を足してみた。時間が進むにしたがってこの球体も移動する。この移動面が「美しさ」そのものだと考えた。個と個を結びあわせるパターンが、ベイトソンの言う愛であり、宗教であり、芸術で、音楽で…。「優美さ」なのだ!
高校生のわたしを思い出す。美しさって宇宙のことで、宇宙って美しさのことなのかも。
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この夏は北海道から九州まで、約1か月間フィールドワークをした。
途中、北海道美瑛町の天文台から、昼間の星と太陽を見ることができた。宮城大学・中嶋紀世生先生の導きで、丘のまち郷土学館の名誉天文台長の佐治晴夫先生に出会うことができて。佐治先生は音楽と数学の世界を手にして、宇宙を旅していた。丘のまちを愛車で爆走する佐治先生。どこまでも宇宙に近づけそうだった。
佐治先生は問いかける。
「宇宙には果てがあると思いますか?」
我々はいま三次元の世界に生きている。この空間の条件に、同じ次元で時間の条件を足してみる。(アインシュタインの相対論)これが多次元球体であり、宇宙のモデルだそうだ。時間を虚数にするとこのモデルが成立する。しかし私たちは虚数の時間を理解することはできない。だから宇宙全体がブラックホールだと考える。宇宙は特異点から始まって、最後に特異点へ戻るという宇宙論が成立する。
(きっとこんな理解では怒られてしまうが、とにかく・・・)
「還ってくる。」宇宙は環の世界なのだ!
痛快だった。高校2年生の素朴な好奇心が、忘れていた記憶を呼び起こすように、今の問いに出会い直し、古典を通して意識の上に残され、経験をして無意識の知に落とし込まれた。理系も文系も超えて、智の世界へ導かれているように思えた。
ーーー
星のかけらから始まったわたしたち。宇宙からみたら、高校生の私に声をかけてくれたおじさんも、ベイトソンも、佐治先生も、私も、ほとんどみな同じ星のかけらに過ぎない。出会っては別れる有限の存在。しかし、わたしに問いがある限り、またどこかで出会い直せるのだ。わたしも、あなたも旅をできる。還ってこられる。そう思ったフィールドワークだった。
あのボイジャー探索機のゴールデンレコードはいま、宇宙で音を奏でているかもしれない。そして宇宙の果てにたどり着いたとき、私が想像していたように、還ってくるのだろう。
果てしない、けど果てのある、生命の時間の話。
「世界への好奇心を動機として研究に励む――そうした、現代では尊ばれていないにせよ、古来からの知の衝動に導かれて進むこと、そこで得られる報酬は力(power)ではない。美(beauty)である。」
(グレゴリー・ベイトソン,『精神の生態学へ(中)』,2023,佐藤良明訳,岩波文庫:214)

時を旅する 多摩丘陵 明治元年~|土曜日の会 第6話
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ものがたりをめぐる物語