今月の畑
前回の活動から約一か月。自分たちで蒔いた種に対する期待と不安は、先月畑を訪れた時よりも、よりいっそう私の中に募っていた。先月育苗用のポットに蒔いた種が元気に育っていないことを目の当たりにし、「上手くいくだろう」という根拠のない自信が崩れ去ってしまったからかもしれない。
すっかり威勢の良くなった太陽の日差しを浴びつつ、私たちは今月も畑を訪れた。自分たちの畝の前に行くと、茂る雑草の中で生命力を放つ芽の姿がいくつか目に入った。「よかった」と声が漏れる。先月四人で横に並んで植えた大豆は一つだけ大きく成長していて、他にも芽を出しているものはあったが、その大豆はひときわ背が高かった。同じ気候条件で、同じ種類の種を植えたにも関わらず、こんなにも成長の仕方が異なるのは何故だろうか。
「念をたくさん込めたからじゃない?」
「え~、私もかなり込めたけどなあ」
「きっと込めすぎたんだよ」
そんな会話が畑を飛び交う。真相は土の中だが、想像を膨らませるのは楽しいし、これこそが自然農の楽しみの一つなのかもしれない。
ニンニクの収穫
私たちの畝の隣にはニンニクが植わっていて、今回はそれらを一つ残らず収穫した。周りをざくざくとカマでほぐし、ニンニクを引き抜く。小ぶりだが、それがまた可愛げを増強させているのである。次々とニンニクを掘り返して自分の隣に積んでいくと、思いがけず花束のようになった。土がついたままで、本当の花束に比べれば色鮮やかさには劣るかもしれないが、こちらの方が生き生きと感じられるのは気のせいだろうか。
全て収穫し終わったら、実と葉、そして根をカットする。これがまた無心でできるので楽しい。カットすると、ニンニク特有の匂いが畑に広がって、私たちの空腹をじわじわと刺激した。
待ち遠しい夏
畑には他にも、トマト、ズッキーニ、ナス、オクラ、サトイモ、ショウガ、ジャガイモなど、多くの野菜が植わっていた。しかし、それらのほとんどがまだ実をつけておらず、食べられるまでにはまだ時間をかける必要がある。サトイモやショウガは秋まで待たなければならないが、あと数か月後には、この畑が色とりどりの果実でいっぱいになることを想像すると、暑い夏も少し待ち遠しく感じられた。
ナス:下の方の葉は黄色くなったり、虫に食べられたりしていたが、上の方に若い葉が生え始めている。これは元気に育っている証拠なので、そのままでOK。
ズッキーニ:虫がつくので、白い透明のドームのような囲いが作られていた。虫は横からやってくるので、上まで覆う必要はない。また、プラスチックを避けたい場合は、ある程度の高さを確保した上で紙で四方を囲む方法もある。
トマト:一番最初に実をつけた一つ下の脇芽を残して、他はとってしまう。二方向に脇芽が伸びて、実がつくようにする。
梅仕事
家の中に入ると、爽やかな梅の香りが押し寄せてきた。机の上を見ると、南高梅と白加賀がそれぞれごろごろと置かれている。今回は、これらの梅を梅干しと梅シロップに加工していく。
〈梅干し〉
まずは、竹串を使って梅の黒いへたをとり、ジップロックに入れていく。平らにして9割ほど梅を入れたら、今度は塩を加える。市販の梅干しは梅の重量に対して12~15%の塩を用いているのだが、8%の減塩タイプで作るメンバーもいた。(私はごはんのお供にしたいので、12%にした。)塩の量が少なければ少ないほど腐りやすく、暑さにも弱いため、よりいっそう手間をかける必要がある。冷蔵庫に入れておくだけではなく、毎日ひっくり返したり、軽く揉んであげたり、そうやって様子を見ることが重要だ。私たちは、一人ひとり自分の好みの比率で塩を加え、一旦家に持ち帰った。次回の活動の際にそれらを持ち寄り、いよいよ干す段階に移る予定である。一人で作るのとは違い、色々な味の梅干しを作り比べ、食べ比べることができるのが面白い。
〈梅シロップ〉
今回は、冷凍しておいた梅と、てんさい糖・氷砂糖・黒糖・シナモン・クローブなどを用いて、様々な種類のシロップを作る。私は特に氷砂糖のシロップに馴染みがあり、てんさい糖と黒糖は初挑戦。どんな味になるのか楽しみだ。梅シロップにこんなにもバリエーションがあることに驚きを覚えると共に、他の人がどんな梅シロップで育ってきたのか知ることも面白かった。
食卓を囲んで
お昼ごはんは、チゲスープ・チヂミ・いろいろ米。小倉さんの韓国料理は抜群に美味しい。知り合いの韓国人の方から手ほどきを受けたそうだ。
ごはんを食べながら、皆で近況報告をする。今回は、初めて畑を訪れるメンバーや、昨年大学を卒業したメンバーも参加していたので、いつも以上に話が弾んだ。去年の今頃、一つ上の代の進路報告を同じように机を囲みながら聞いていた私であったが、時間が過ぎるのは早いもので、今度は自分が進路の報告をする番になった。これから皆異なる道を進み始めるのか、と感慨深くなるのと同時に、来年一つ下の後輩たちが進路を決めるときにも同じように畑の食を囲んで、この場所に皆で居合わせることができたら、それはなんと幸せなことだろうと感じた。
振り返り
一つ、新しい気づきがあった。いつもはお昼ごはんを小倉さんが作ってくれているのだが、今回はチヂミを焼いたり、寒天を作ったりする工程を自分たちの手で担った。(チヂミの生地作りは相変わらず小倉さんなのだけれど。)〈畑仕事→食べる〉の中に作るという工程が加わり、〈畑仕事→作る→食べる〉というようにパワーアップしたことで、私たちの活動の中に「暮らし」の輪郭がうっすらと立ち現れてきたように感じた。単なる月に一回の活動から暮らしへ。活動の内容もその中で得た学びもじわじわと引き延ばしていって、自分の手で自分の暮らしを形作る感触を、地に足の着いた暮らしの感触を、自分のものにしていけたらと思う。
日南