あのときの風と景

場所:山口県周防大島町

記憶:令和(2019〜)

自分の出自

 この夏のフィールドワークの道中、北海道から熊本県への移動は天気に恵まれた。快晴のなかでのフライトは日本列島の姿がよく見えた。川をなぞるように谷沿いに人が暮らすまち、沿岸の工場地帯、区画整理された水田と畑作の風景、盆地の灰色住宅街。途中、瀬戸内海の上である島が目に入った。オタマジャクシみたいな形をしていて、山の尾根筋で隔てられたいくつかの集落を有する島。なんとなく動画におさめてみた。この島が周防大島だった。
山口県周防大島町。瀬戸内海で3番目に大きな島で、北は本州が南は四国が望める2026年8月30日から9月1日にかけて、わたしはルーツをたどる旅をした。

 

 周防大島には幼いころ何度か遊びに訪れていた。祖父の別荘があったのだ。崖の上に立つ別荘から見える、透き通った海の景色。庭に並ぶ4本の夏ミカンの木。春は夏ミカンの収穫、夏は海水浴。豊かな時間だったと記憶している。しかし祖父が亡くなったタイミングで「負の遺産」とされ、売却してしまった。私は、幼いころに見たあの景色をもう一度見たかった。

 わたしの父の実家は山口県徳山(現周南市)にある。現在も自宅は残っている。先祖はJR線でひとつ隣駅の櫛ヶ浜にて、「笠戸屋」を屋号とする船大工かつ廻船問屋だったと聞いている。東は紀州方面、南は長崎方面と交流をもち、商売をしていたらしい。私のからだには、海の血が流れているなど知らなかった。この「笠戸屋」と言えば、1798年(寛政10年)に長崎県香焼町で、オランダ東インド会社の和蘭商船「エライザ号」が沈没した際、その引き揚げに力を発揮したそうだ。指揮者は、同じ櫛ヶ浜の商人・村井喜右衛門であり、旧香焼町で今も民話として残り、地域のアイデンティティとして伝承されているという。(村井の組曲まであるそうだ。)この村井の仲間として、共に力を発揮したのが笠戸屋だという資料を見つけた。村井に関する資料や研究の蓄積は多く、もし先祖が村井であれば…なんていう欲もあるようなないような気もするが、宮本常一が渋沢敬三に教えられたように「大事なことは主流にならぬこと。」(宮本 1993: 98)という謙虚な姿勢でいるよう気を引き締めたい。

 余談だが、ルーツを巡る旅をしていて、気分が高揚するのは、いろんな想像(妄想?)ができるところだ。佐賀県武雄市に「喜右衛門橋」という橋がある。地図で確認すると、ちょうど長崎街道の道中に位置し、沈没船引き揚げの地までつながっている。ということは、あの村井喜右衛門が長崎への道中、佐賀県でも力を発揮したのだろうか、いやしかし廻船商人が陸路を使うのだろうか、などいろいろな憶測と妄想をして楽しんでは、また旅に導かれていくところだろう。かくいう私も、周防大島へのフィールドワークは、北海道から熊本への道中で、島と目が合っていた時点から始まっていたということになる。

 

ーーー

 

 周防大島へ早いちくいきたい気持ちを抑えながら、私は旅路の手筈を整えた。ひとまず徳山駅で降りて、実家の様子を確認しつつ、この町が一体どういう場所であるのか歩いてみたかった。駅の近くに「マツノ書店」という古本屋がある。宮本常一『民俗学の旅』の220頁に出てくる古本屋で、山口県に関する古書をよく取り扱っていることが書かれている。本書を読んだ際に父に「マツノ書店」の話をすれば、同級生のご実家が営んでいると聞き、驚いた記憶がある。一度行ってみねばと思っていたので、足を運んだ。複合施設の一階で小さく構えるお店には店主が1人座っていた。店内の一番奥の壁には、郷土に関する古書が多く並ぶ。その中から、先祖「笠戸屋」に関係する本を見つけるなどして、かれこれ2時間近くは古本屋にいたと思う。数冊を旅の供に手に入れた。聞けば、父の同級生の弟さんが後を継いでおられるようだった。
 翌日は櫛ヶ浜にあるお墓を参った。お墓から見える瀬戸内の景色と、周防大島の別荘から見えた瀬戸内の景色が似ているような気がして、確認しに行った。わたしの家はどんな景色と風の中で生きていたのか知りたかったのである。

 

 そうそう。お気づきの方もおられるのか。これから旅する周防大島は、宮本常一の故郷である。

 

 さぁ昼間のうちに周防大島を目指そうと車を走らせる。道中、琴石山の伏流水を汲み、大島大橋の手前の信号から、松田聖子の『青い珊瑚礁』を歌いながら。周防大島に入って、「あの時の景色」を探して車を走らせた。標高の高いところに行けばなにか見えるかもしれないと、海沿いを走っては直角に曲がって坂を上ってみた。念のため父に別荘があった場所を聞いて足を運んだが違った。うーーんどこだろうか、と坂の途中で車を停めて、地図を眺めていると、目の前のコンテナハウスから作業着を着たおじちゃんが出てくる。
「なんか用か?」
やっかいそうなおじちゃんだなと思ったことは失礼を承知で申したい。しかし、このおじちゃんがキーパーソン!少し話をしてみると
 「おー、それなら知ってるよ。俺がその不動産やってたよ。」
ジャストヒット!やったー!と思ったのもつかの間
 「ひとこと言っておくけど、見ねぇ方がいいぞ?」
聞けば、後の購入者が別荘を以降全く来ていないという。ぼろぼろになってしまったその建物のすがたを、おじさんは見せたくないと言った。たまたま立ち止まったコンテナハウスは不動産の拠点にしている事務所のようで、上がっていけという言葉に導かれ、少しかつての話を聴きにお邪魔した。
 「しっかし、あれだな、孫の顔を見ることになるとは思わなかった。人生面白いもんだな。悲しんでもしらねぇけど、本当に見たいならおいちゃんの車の後ついてきな」そういって車を出してくれる。わたしの借りたコンパクトカーでは心許ないような急坂を登ると。

 

あぁ、この景色だ。大人になった今みても広くて青い海に変わりはなかった。目の先には別の島が浮かんでいて、広大な青さの中に、少しの安心感を覚える瀬戸内の風景。お墓から見える景色と同じ安心感があった。

 

「じゃ、おいちゃん行くからよ」
確かに、別荘はぼろぼろだった。壁は剝がれ、木の階段は崩れ落ちている。夏ミカンの木は4本とも切られていた。所有者が変わる。お金を介して「わたし」のものになれば、好き勝手できる。変化していく。

 

 それでも変わらない瀬戸内の風景。今日はこの海の前で寝よう。辺つ風を感じながら日没を待ち、ほとんど満月に近い月夜の光が、満ちた潮をきらきらゆらゆらと照らす夜。明け方、朝日で赤らむ空。山の奥の集落が先に日を浴び、わたしのいる岸辺をゆっくりと朝陽が照らす。奥の海から明るくなって、段々と岸辺まで照らされる。太陽が昇るというより、わたしのいる大地が回っているんだと思った。湿っぽい潮風は、わたしを海へと誘った。

 

ーーー

 

 周防大島は、神社と寺が大変多い島だった。海の神様、山の神様、両方あるようだ。海のまちだと思っていたけれど、海を守るのは山で、山を守るのは海だから、人びとは両方に祈りをささげていたのかもしれない。下田八幡宮と呼ばれる大島郡の総社に出向いてみる。立派なお社を抱える神社だった。とはいえ参道の石畳はゆがみ、樹木は鬱蒼と社を囲む。地層はむき出しになり、目の高さに木の根が現れる。この島で、人びとは何を祈っていたのだろうか。食べるものも交流も制限のあった島での暮らし。身の回りにあるものがすべてである。どんな循環性をもって暮らしていたのだろうか…。
 祈りの多いこの島に眠っている時間を紐解いてみたくて、島の真ん中に位置する「白木山」に登ってみようと思った。四海がみえると聞いてなお興味がわく。道中はほとんど誰も手入れをしていないようで、草木が荒れ放題だった。それでも進んでみる。がしかし途中でその先の道には進めないように、通行止めの看板とロープで道がふさがれてしまったので諦念した。山の顔はなかなか見せてもらえないように感じた。
 島を囲む県道を一本外れると、背後に山を抱えながら、ほとんど海に接するように集落が形成されていた。瓦屋根と土壁に木を貼った家が立ち並んでいる。集落はキュッと小さく形成されている。集落ごとに集合の墓地がある。少し傾斜のある場所はミカン畑が残っていて一枚の畑には自家用の野菜がつくられていた。畑は柵で囲まれているところが多いが、ここでも動物との食う食われるの関係は厳しいものなのだろうか。松の木が象徴的だ。節の数を数えれば年輪がわかると言ったっけ。

 ご飯を食べるのには苦労した。食べる場所がないかと言われればあるが、観光客に向けた食が多い。島のほんとうの経済はここにはないと言われんばかりの恰好だ。何やら扉が必要そうだと感じて、諦めてどーんと看板を構える食事処で3,300円の海鮮丼。美味しかった…。その後鮮魚店に寄ってみるも空振り。うまいもん、きっとあるんだろうなぁ。これはきちんと入り口を見つけてから再訪しようと思う。

 

 宮本常一が生まれた集落にある宮本常一記念館に立ち寄った。隣に併設する星野哲郎記念館が現代的なモチーフでアートの輝きを放っているのに対して、ひっそりとたたずむ宮本常一記念館。アロハシャツを着たスタッフが出迎えてくれる。農と海の民具を中心にした展示を囲むように、宮本常一に関する多様な切り口の展示がされていた。この島を、宮本はどのような視点で見ていたのか、その目線は全国の農山漁村を歩くときのどのような基盤になっていたのかよくわかった。宮本の言う民俗学の基礎「あるくみるきく」はよく知っていたが、その前後にある「よむかく」がそれを支えていることもはっきりと理解された。
 館内の一角に図書の展示がされていた。そのなかにA4サイズの聞き書き集を見つけた。『周防大島民族聞書き 第1集』と題した本を開いてみる。地味な体裁だが、一見してこれはすごいと思った。正直、宮本常一を追っかけた著作や研究はたくさんあるわけで、周防大島でどのような宮本のすがたが立ち上がってくるのだろうか、と挑戦的に考えていたところがある。その期待を真ん中に据えるように、この聞書きは応えてくれるような気がした。宮本の言う「聞書き」の型を忠実に踏襲しながら、宮本がみてきた故郷の写真と話を照らし合わせ、古老の話を現代に生かし直している。「旧い話」ではなく「新しい話」として再構成されていた。のちに聞けば、この冊子は4年前に学芸員として着任した一人の男性職員が成しとげた仕事のようで、館内展示に充実を感じたのは、この聞書きをつくる過程での副産物を、宮本の視点で語りなおしたものだからだろう。ひとりの学芸員の生きざまがはっきりとここにあらわれている。しかし、この島に根ざしていて、民衆の暮らしのかたちを捉えることから離れていない。この一人の学芸員の仕事に感動した展示だった。こんな仕事ができたら幸せだなぁ!購入した聞き書き集は最後の一冊だった。

 

 館内を後にして周辺を散策していると、「アコウの木」を発見した。私の経験上、2回目だ。一回目は熊本県水俣市袋地区の海沿いで。「南の島の木、アコウの木。クニとつながっている証拠なんだよな。」とあの時の記憶を心で復唱しながら歩いた。(地元学・吉本哲郎氏)

 

 「本当の人間を見、本当の自分を見つけることのできる世界へ出ようとする」(宮本 1993: 203)そのことを心に留めて、また次の旅へ行こうと思う。

 

ーーー

宮本常一,『民俗学の旅』,1997,講談社学術文庫.
 

写真

櫛ヶ浜からの景色
この風景
川と海がつながるところで
山、集落、海
自転する地球、沈む夕陽
雲隠れにし夜半の月
はじまりを告げる空
太陽も丸い
内側からの下田八幡宮
南の島の木、アコウの木
2026/09/07

あなたの『ひとひら』が、まちに舞い上がる。

「ひとひら」総取得

松田 理沙さんの投稿

美宙のひとびと 8年前、夏の電車だったと思う。千代田線の表参道駅から代々木上原駅までの3駅の間、当時高校2年生だった私はつり革につかまりながら、友達に熱心に語りかけていた。「ねぇ、宇宙の果てってどうなってると思う?」友達が話を聴いていたかどうかは覚えていないけど、私は興奮気味で友達に語り掛けていた…