「未知なる原風景へ」服部朋也さんと小倉美恵子さんの対話より

場所:東京都青梅市

記憶:令和(2019〜)

生業・仕事

20261027御岳山御師・服部朋也さん

 「御師(おし)」という言葉に、馴染みのある方はそう多くないかもしれません。 私もこの古の職能と出会ったのは、映画・文筆作品『オオカミの護符』を通してでした。 服部朋也さんにお会いするのは、今回で2度目です。 どこか厳かで難しそうな響きを持つ「御師」ですが、目の前にいる服部さんは驚くほど柔らかい物腰。一言ひとことに真摯に耳を傾けてくださるその姿からは、山での暮らしがそのまま滲み出たような、神さまと人とを穏やかにつなぐ「あいだ」の気配が漂います。

 服部さんは武蔵御岳山・御師として歩み始めてから、今年で8年になると伺います。もともとは山の麓で育ち、会社員として日々を過ごしていたと言いますが、なぜこの道を歩むことになったのでしょうか。そして、御岳山の信仰を支える「御師」と、里の人々をつなぐ「講中(こうじゅう)」の間には、今、どのような絆が息づいているのでしょうか。

 

 御師とは、古くから神社や寺に詣でる人々のお世話や案内役を務めてきた人々のこと。山に暮らし、地道で愚直な営みを重ねることで、日本の山岳信仰を今日まで守り支えてきました(詳しい歴史的背景については、小倉美惠子『オオカミの護符』に詳しい)。 特に、御岳山を詣でる講の人々(講中)との結びつきは深く、世代を超えて途切れることなく受け継がれていきます。農閑期になると、御岳山の御師たちは里へ下り、御岳講のある地域を一軒一軒巡ってお札を授けてきました。かつては各家の神棚の前に立ち、祝詞をあげてくれる存在。いつでも誰かが家にいて、連絡なしに訪ねても温かく迎え入れられる――そんな深い信頼と親しみが、そこにはありました。
 しかし、時代は変わります。プライバシーが重んじられる現代、たとえ御師であっても個人の空間へ気軽に踏み入れることは難しくなりました。留守だからと勝手に家へ上がりお札を置いていくような昔のやり方は、もはや通用しません。そこで服部さんは、不在の家にはまるで宅配便のように「不在票」を置いていくのだと言います。紙に残しておいておくことで、電話が返ってきて、関係性が紡がれるのです。また縦のつながりが薄れ、「講」の意味が曖昧になりつつある現代。服部さんは、武蔵御岳山にまつわる歴史や知識を丁寧に紙に綴り、各家に配っています。自分が学び、感じたことを外へ開き、発信すること。それは、私たちがどのような歴史のうえに立っているのかを確認し、未来へ向けた「再発見」の扉を開く営みです。今この瞬間に言葉や形として記録を残すことが、新しい未来を育む「種」となり、旧くて新しい物見の目を養っていく――服部さんのそのような眼差しが印象的です。

 

 こうした服部さんの歩みの背景には、お祖父さまやお叔父さまが守り続けてきた家業の歴史がありました。もともとは会社員として働いていたため、自身が御師を継ぐことなど考えてもいなかったと言います。それでも、世代交代という大きな節目の中で、不思議と「道」が拓かれていきました。高校時代に打ち込んだ柔道の記憶、大学で専攻した考古学における埴輪との出会い、そして手ぬぐいというモチーフ……。振り返れば、これまでの人生のあちこちにまかれていた小さな種が、まるで時機を待っていたかのように雨を受け、静かに発芽していったような生きざまが感じられます。それは、どこか「導かれる」ようなプロセスに感じます。しかしその導きは、決して偶然や個人の力だけで成し遂げられたものではありません。何世代にもわたって地続きに紡がれてきたファミリーヒストリー、御岳山の豊かな自然や生き物たち、神社の歴史、そして講中の人々と築いてきた温かな関係性――無数の歴史の糸を感じます。 歴史の重みを大切にしながらも、決して固執せず、未来へと手渡していく。そのしなやかな佇まいがそこにありました。きっと次の世代交代の時には、お祖父さまの眼鏡をかけた服部さんが、次の世代に御師の新しいイメージを手渡しながら歴史を担う一人になってゆくのだと想像しました。

 

 ふと、思いを馳せます。 私たちが追い求める「未知なる原風景」とは、どこかの一点にぽつんと存在するものではなく、こうした人々の営みや記憶が織りなす「プロセス全体のこと」を言うのかもしれません。 そんな穏やかな余韻が、胸に残る出会いでした。

 

写真

御岳山手ぬぐい
服部さんを囲んで
かつての版木から広がる世界
自宅の物置きから拾いあげて
2026/10/28

あなたの『ひとひら』が、まちに舞い上がる。

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